長崎教区典礼委員会 ngstenrei.exblog.jp

見えないかたの姿を求めて


by nagasakitenrei

洗礼式

 秘跡の典礼では、ことばと動作の一つ一つが意味付けられています。
普段と違う式では解説を入れることが多いのですが、丁寧に式に注目すると、式文と動作・シンボルそのものが何かを伝えていることに気付きます。
秘跡は「見えない恵みの見えるしるし」と言われますから、秘跡の典礼に注目することで、恵みの出来事を目撃したいものです。

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 かつて、洗礼式は聖堂の入口近くに設けられた洗礼堂で行われていました。
志願者は闇の方角と考えられた西に向かって悪霊の拒否を宣言し、光の方角とされた東に向かって信仰を宣言してから、水に入って(キリストとともに死ぬことの表現)洗礼を授けられました。
伝統的に聖堂は東向きに建てられていましたので、水から上がった(キリストとともに復活することの表現)人は聖堂の方向を向いていました。
その後、聖堂内で待つ司教のもとに案内されて堅信を受け、教会の一員として感謝の典礼に与って聖体を拝領するのでした(当時、洗礼を受けていない人は感謝の典礼の時は退出することになっていました)。
この洗礼式の典礼は、洗礼を受けて教会に入り、聖体に向かうことをよく表しています。

 現在の洗礼式は簡略なものに見えますが、秘跡の意味を表現していることに変わりはありません。
洗礼の水の祝福のことばは、救いの歴史の中で水がどのような役割を果たして来たかを思い出させます。
洗礼盤の八角形は、洗礼が七日間で完了した天地創造に続く新しい創造であることを表しますし、父と子と聖霊の名前を呼ぶのは三位一体との関係に入ることを示しています。
白衣もロウソクも、目に見えるシンボルを通して、洗礼を受けた人がキリストを身に付け、輝く光となったことを語っているのです。

by nagasakitenrei | 2007-05-09 14:27 | 入信の秘跡