長崎教区典礼委員会 ngstenrei.exblog.jp

見えないかたの姿を求めて


by nagasakitenrei

最後の晩餐とエウカリスチア

イエスの最後の晩餐がいつ、どのように行われたのか、聖書の記述だけからすべてを知ることはできません。
しかし、教会は歴史のはじめからエウカリスチアを大切にしてきました。

「主の晩餐」、「パンを裂くこと」、「エウカリスチア」、「ミサ聖祭」など、さまざまな名前で呼ばれるこの祭儀は、「これをわたしの記念として行いなさい」というイエスの命令に忠実でありたい教会の行為です。
おそらくイエス自身は、ユダヤ教の過越祭の伝統にしたがって最後の晩餐を執り行ったと思われます。
宗教的な食事の作法に従ってパンを祝福し、食事が終わると杯を祝福したことでしょう。

弟子たちの記憶によれば、その時、イエスは新しい言葉を告げられました。
それが「これはわたしの体」、「これはわたしの血の杯」、「これをわたしの記念として行いなさい」というものでした。

過越の食事はエジプトからの脱出の記念でした。
その記念の中でイエスは新しい過越、すなわち、ご自分の死と復活をいわば予告されます。
それは、人を罪から解放する新しい過越の予告でした。イエスの最後の晩餐そのものが、新しい過越を記念していたと言うことになります。

こうして最後の晩餐は教会のエウカリスチアとなり、教会は今もキリストの死と復活がもたらした「あがない」を記念し続けるのです。

by nagasakitenrei | 2007-05-25 10:13 | エウカリスチア