ミサの犠牲

ミサは犠牲(いけにえ)と言われます。そこには三つの意味が込められています。一つは、キリストの受難と死は、十字架を祭壇とする犠牲であったということ。これは最後の晩餐の席でいわば予告として宣言され、パンとぶどう酒によって示されました。次に、エウカリスチアはキリストの犠牲を常に続けるものであるということ。そして、この継続は「記念」という仕方で行われることです。
キリストの犠牲は一度だけのものでした。一度で、誰も例外とされることのない、すべての人のために献げられたものでした(ミサの中では、「多くの人のために」という言葉が使われていますが、これは「すべての人」を意味しています)。ミサでは、キリストの一度だけの犠牲が記念されています。記念とは繰り返しではなく、今の出来事になるという意味です。時間を超えた方である神さまにとって、キリストの十字架と、21世紀のミサは同じ時の出来事なのです。
今日も、キリストは献げものを献げる祭司として、また献げられる犠牲として、人には罪からの解放を、神さまには栄光をもたらし続けています。これが今日のミサの出来事です。
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by nagasakitenrei | 2007-05-27 10:08 | 典礼と秘跡