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カテゴリ:入信の秘跡( 9 )

堅信の恵み

伝統的に堅信は聖霊の七つの賜物を与えると教えられてきました。
もちろん、キリスト教の洗礼は聖霊による洗礼ですから、洗礼を受けた者はすでに聖霊を受けていますが、堅信が聖霊の賜物に注目するのは、聖霊を受けた者のはたらきに期待するからとも言えます。

洗礼の時に受ける聖霊と堅信の時に受ける聖霊は、復活の日に弟子たちの真ん中に立ったキリストが「聖霊を受けなさい」と弟子たちに息を吹きかけられた出来事(ヨハネ20:22)と、聖霊降臨の日に語りはじめた使徒たちの出来事(使徒言行録2)に例えられることもあります。
堅信の恵みは、使徒としてイエスを救い主と証言することに特徴があるからです。

使徒としての証言は言葉だけではなく、神さまを知る者としての判断や奮発心、忍耐という形でも実現されます。
見えない賜物の見えるしるしとなるのは、堅信を受けたその人なのです。

by nagasakitenrei | 2007-05-17 21:50 | 入信の秘跡

堅信の時期

堅信を受ける年齢は、堅信の秘跡をどのように理解するかによって議論のある問題です。
入信の秘跡の順番、すなわち洗礼・堅信・初聖体の一連の流れを大事にする立場からは、初聖体の前に堅信を授けるほうがよいとの主張があります。
国や教区によっては「12歳の頃」などと規定しているところもありますし、堅信を信者としての自律のしるしと理解する立場からは「成人する頃」が望ましいとも言われています。

教会法はさまざまな伝統に配慮して、堅信を受ける年齢を「適切な時期に」とだけ記しています。
日本の教会はこれを「10歳から15歳まで」を原則とすると定めています。
小学校高学年から中学生にかけて堅信が授けられているのが日本の実情ということになります。

一定の年齢を定めるのは、信仰教育の観点からも意義のあることですが、同時に身体の年齢と信仰の成熟は別であることも忘れないようにしたいものです。
どの時期に受けるとしても、堅信は、司教によって示される教会とのつながりと、自分自身で行う信仰宣言が意味する意識の深まりが、聖霊の働きかけによって実現していることのしるしとなっています。

by nagasakitenrei | 2007-05-17 21:14 | 入信の秘跡

洗礼と堅信

洗礼の秘跡典礼の中で、聖香油の塗油が行われます。
これは、洗礼を受けた人が、「油注がれた者」であるキリストの体に結ばれて「油注がれた」者になったことを表しています。

洗礼に続いて行われる堅信は、西方教会では司教が行う聖香油の塗油で、洗礼のいわば「確認」とも言えるものです。
司教の姿は、堅信を受けた者が教会のメンバーであること、具体的には自分の属する小教区が教区に結ばれ、教区を通して世界に広がる全教会と結ばれていることを目に見えるかたちにしています。

キリスト信者は、信じるすべての人とともにキリストの体に結ばれているのです。

聖香油の塗油は聖霊の注ぎを表すものです。
これは生涯に一度の出来事として神さまからの特別の働きかけがあるときに用いられます。
ですから洗礼や堅信は繰り返すことができませんし、取り消すこともありません。
聖香油を塗油された者は、言葉と行いで、神さまからの特別の働きかけのしるしとなるように励まされています。
こうして、人は少しずつ、聖霊のペルソナの見える姿になっていくのかもしれません。

by nagasakitenrei | 2007-05-15 20:40 | 入信の秘跡

洗礼の恵み

洗礼の秘跡の典礼が表現している根本的な事柄は、死と再生です。
五感ではしるしを通してしか受けとめることはできませんが、信仰によればこれは確かな現実なのです。

秘跡の恵みには、その執行のときに実現するものと、秘跡を受けた者がこれを生かすことで実るものとがあります。
洗礼であれば、その執行によってキリストに属する者となりますが(霊印ということばで表現されます)、キリストに属する者として生きるかどうかは本人の自由に任せられています。
これは秘跡に効果がないからではなく、秘跡は人間を強制する(ロボットのように操る)魔術ではない、ということによります。

自分一人で神さまの前に正しい人間は一人もいないので、洗礼の恵みがあります。
救われるためには洗礼が必要だ、とはこの意味です。
しかし、そこから罪と戦う生涯が始まるとも言えます。神さまを信じると罪が見えるようになるからです。
とはいえ、洗礼は人を教会のメンバーにする秘跡です。
人は一人ではなく教会のメンバーとしてこの生涯を歩んでいきます。

by nagasakitenrei | 2007-05-11 12:27 | 入信の秘跡

幼児洗礼

洗礼を幼児に授けるのはなぜでしょうか。これにはいくつかの理由があります。

まず、神さまが先に人を愛して関わってくださるということ。
本人が信仰を宣言する成人の入信も、先に神さまの招きがあって初めて実現します。
信仰は本人の自由意志だけでは始まらない「いただきもの」なのです。

次に、どんな正しい人であれ、幼児であれ、人は自分のありかただけで救いに達するものではないということ。
やはり、救いは神さまからの「いただきもの」だからです。

さらに、
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。」(マルコ10:14)というイエスの教えを実現したいということ。
人は親しい者には幼子を抱いてもらおうとするものです。

秘跡の執行者はイエス・キリストご自身ですから、洗礼の秘跡は人がイエスに触れ、また触れていただく最初の場と言えます。
神さまを学び祈りを憶えて、やがて子どもたちは自分でイエスのもとに近付いていきます。両親や代父母、教会の仲間の姿を見て憶えるのです。

by nagasakitenrei | 2007-05-10 11:16 | 入信の秘跡

洗礼式

 秘跡の典礼では、ことばと動作の一つ一つが意味付けられています。
普段と違う式では解説を入れることが多いのですが、丁寧に式に注目すると、式文と動作・シンボルそのものが何かを伝えていることに気付きます。
秘跡は「見えない恵みの見えるしるし」と言われますから、秘跡の典礼に注目することで、恵みの出来事を目撃したいものです。

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 かつて、洗礼式は聖堂の入口近くに設けられた洗礼堂で行われていました。
志願者は闇の方角と考えられた西に向かって悪霊の拒否を宣言し、光の方角とされた東に向かって信仰を宣言してから、水に入って(キリストとともに死ぬことの表現)洗礼を授けられました。
伝統的に聖堂は東向きに建てられていましたので、水から上がった(キリストとともに復活することの表現)人は聖堂の方向を向いていました。
その後、聖堂内で待つ司教のもとに案内されて堅信を受け、教会の一員として感謝の典礼に与って聖体を拝領するのでした(当時、洗礼を受けていない人は感謝の典礼の時は退出することになっていました)。
この洗礼式の典礼は、洗礼を受けて教会に入り、聖体に向かうことをよく表しています。

 現在の洗礼式は簡略なものに見えますが、秘跡の意味を表現していることに変わりはありません。
洗礼の水の祝福のことばは、救いの歴史の中で水がどのような役割を果たして来たかを思い出させます。
洗礼盤の八角形は、洗礼が七日間で完了した天地創造に続く新しい創造であることを表しますし、父と子と聖霊の名前を呼ぶのは三位一体との関係に入ることを示しています。
白衣もロウソクも、目に見えるシンボルを通して、洗礼を受けた人がキリストを身に付け、輝く光となったことを語っているのです。

by nagasakitenrei | 2007-05-09 14:27 | 入信の秘跡

洗礼

水はいのちを支えるものです。また、汚れを洗い清めるものでもあります。
さらに、津波や嵐の海などのように死をもたらすこともあります。

洗礼の水は、復活の新しいいのちに支えられること、罪から清められること、またキリストの死に与ることを表しています。
使徒たちの時代以来、キリスト信者になる者は洗礼を受けます。
それはキリストご自身がヨハネから洗礼をお受けになり、弟子たちにも洗礼を授けることをお命じになったからです。
キリストは洗礼をお受けになることで、わたしたち罪人のひとりとなられたことをお示しになり、わたしたちに洗礼をお命じになることで、ご自分が受難と復活を通してもたらされた救いを罪人であるわたしたしに与えようとされるのです。

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写真:ギリシア/リディア受洗記念聖堂境内の洗礼所。川に設けられている。

by nagasakitenrei | 2007-05-08 11:30 | 入信の秘跡

キリスト教入信の秘跡

洗礼・堅信・聖体の秘跡はキリスト教入信の秘跡と呼ばれます。
初代教会時代、キリスト教に入信を希望する志願者は、しばしば司教自身から教えを受けていました。
三年ほどの準備期間に「信仰宣言」や「主の祈り」を授けられ、学び、生活の振り返りを行い、現在の四旬節にあたる最後の準備期を経て復活徹夜祭に入信の三つの秘跡を受けるのでした。

f0136327_10395888.jpg時代が下ると、特に地方では入信式に司教が立ち会わないことも多くなりました。また幼児洗礼も一般化してきます。
このため、入信の秘跡の取り扱いに変化が生じました。
東方教会では、司教が不在で洗礼を受ける者が幼児であっても、入信の秘跡を一体のものとして執行し、洗礼・堅信・初聖体を授けるようになりました。これは現在まで一貫しています。
一方、西方教会では、堅信を司教が授ける秘跡として延期するようになりました。
そのため、入信の秘跡の順序は必ずしも守られなくなりました。

第二バチカン公会議の典礼刷新によって、入信の秘跡は本来の姿を取り戻します。
成人の入信式では、司教が不在でも洗礼・堅信・初聖体を一つのミサの中で行うようになりました。
幼児洗礼の場合は、洗礼・初告白・初聖体・堅信という順序が現状ですが、入信の秘跡本来の姿で実現するにはどうしたらよいか、現在も研究が続けられています。順序にこだわるのは、聖体に向かうという入信の秘跡本来の姿をより良く表現したいからです。
初告白を洗礼の約束の更新として信仰宣言とともに行い、堅信、初聖体という入信の秘跡を実現できる時を待ちたいものです。

by nagasakitenrei | 2007-05-06 10:40 | 入信の秘跡

初聖体の時期について

教区や教会の習慣によって、初聖体の時期は様々のようです。幼稚園や保育園の年長組で初聖体を受ける教会もあれば、小学校三年生ぐらいで行う教会もあります。特定の年齢ではなく、聖体拝領のための準備ができることが求められています。
ところで、初聖体の式は復活祭の季節に行うのが望ましいとされています。実際は、4月に新年度が始まるため、一年間の準備の後に四旬節の頃初聖体を行うことも多いようですが、初聖体は入信の秘跡の一部ですから、洗礼の準備と同じように復活祭に向けて準備されるのが理想なのです。
ちなみに、2008年の復活祭は3月23日。復活節の初聖体が実現できるかもしれません。
by nagasakitenrei | 2007-04-20 09:59 | 入信の秘跡