長崎教区典礼委員会 ngstenrei.exblog.jp

カテゴリ:交わりの奉仕の秘跡( 6 )

「はい」という約束

愛は長く続くことを求めます。愛はまた忠実であることを求めるものです。
これは愛が失われた時、あるいは傷つけられた時、その苦しみの大きさが教えてくれることです。

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マタイ19・6)
とは、神さまご自身が、愛が続くことを望んでおられるということを教えています。
同時にこの言葉は、愛が自動的に永続するものではないことも明らかにしています。

結婚の約束は、快不快や感情の変化を超えて新しい現実を生み出すものです。
結婚の契約は、神さまが忠実な方であることに保証された約束なのです。
一度きりの「はい」という答えに生涯を託すのは要求が高すぎるように思われるかもしれません。
イエスの弟子もそう考えたと、新約聖書は伝えています(マタイ19・10)。
それでも、人が人に信頼することを学んだのはどこであったか振り返ることはできます。
一度きりの「はい」が、教会をまた世界を支えています。「はい」という約束が多くの人に支えと勇気を与えているのです。

by nagasakitenrei | 2008-01-15 13:17 | 交わりの奉仕の秘跡

結婚(婚姻)の秘跡

結婚は人間社会と同じ起源をもつ共同生活であると同時に、キリスト信者にとっては秘跡でもあります。
結婚は神さまが天地創造の秩序の中に組み込まれたものであると教会は理解しています。

人をご自分の似姿としてお造りになった神さまが、男と女として人間をお造りになったからです。
神さまがお造りになったものを御覧になると、「それは極めてよかった」(創世記1章31節)と聖書は伝えています。
結婚が秘跡なのは、それが愛の姿だからです。結婚は、人間を愛し続ける神さまの忠実で変わらない無私の愛のしるしです。
葛藤や不誠実、嫉妬や人間関係の間違いなど、結婚生活が沢山の困難を伴うとしても、それは結婚そのものからではなく、創造の姿から離れてしまった人間の傷から生じるものです。
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写真:「聖家族」(ナザレ/聖家族教会)

聖書には神さまと神さまの民が結んだ契約を結婚の約束として、神さまの人間に対する愛の力強さ、激しさが描かれています。
キリストが流した血は、キリストの花嫁と呼ばれる教会に対する愛のしるしです。そして結婚の秘跡はこの神さまの愛のしるしなのです。



by nagasakitenrei | 2007-10-18 13:23 | 交わりの奉仕の秘跡

助祭職

第二バチカン公会議は、西方教会で長い間形式化していた助祭職を固有の身分として復興しました。
司祭候補者の助祭叙階は今も行われていますが、元来助祭職は司祭職とは区別されたものです。
それは準司祭といった位置づけではなく、叙階の秘跡によって受ける役務としての奉仕職と理解されます。
これによって既婚者も含めた永久助祭がふたたび教会の中に見られるようになりました。司祭同様この役務は司教に結ばれています。
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司祭が叙階によってキリストの祭司職のしるしとなるように、助祭は叙階によってキリストの奉仕職のしるしとなります。
助祭は「仕えるために」来られたキリストのしるしです。
ですから、助祭は、助けを必要とする人への奉仕、みことばへの奉仕、祭壇での奉仕を特別の任務としています。
単なる役割としてではなく、身分として、神さまと人に仕えておられるキリストのしるしだからです。




写真:「弟子の足を洗うキリスト」 フランス/ブルターニュ地方の石彫

by nagasakitenrei | 2007-08-27 13:23 | 交わりの奉仕の秘跡

司祭職

すべてのキリスト者は洗礼による司祭職を持っています。
その目的は神さまと人との親しい交わりを実現することです。
聖霊の働きかけを受けて、信じ、希望し、愛するとき、洗礼による司祭職が果たされていきます。
神さまとの親しさによって人が親しく結ばれる、これが聖なるものになる、ということです。

教会は、人の集まりとして沢山の困難を抱えているとしても、この聖なるものの見えるしるしと考えられています。
そして、洗礼による司祭職を豊かにするために、言い換えれば教会がより聖なるものになるために力を与えるのが、みことばと諸秘跡です。
それは、人が聖なるものとなって救われる、という究極の目的に向けられたものです。
f0136327_15334916.jpg叙階の秘跡による司祭職は、洗礼による司祭職に奉仕するものです。
それはキリストご自身が絶えず教会を心にかけてくださっていることのしるしです。人が聖なるものとなって救われるためのはたらきが司祭職のキリストへの奉仕なのです。


「わたしを愛しているか。」
「わたしの羊の世話をしなさい。」
(ヨハネ20・16)




写真:ガリラヤ湖畔/メンサ・クリスティ。ペトロとイエス

by nagasakitenrei | 2007-08-26 12:46 | 交わりの奉仕の秘跡

司教 −使徒の後継者

教会の長い歴史の中で司教職の姿は随分変わって来ました。
けれども、司教職の本質的な任務はいつも同じです。
それはキリストが使徒たちに委ねた使命を、あらゆる時代、あらゆる場所に伝えていくことです。
この使命の伝達が人間の死によって断たれてしまうことがないように、絶えず後継者が立てられてきました。

教父と呼ばれる古代教会の指導者たちは、使徒たちに委ねられた使命と権能が後継者に伝えられていくことを証言し書き残しています。
使徒継承の使命が今日まで有効なのは叙階の秘跡の恵みによるものです。
聖霊を受けた使徒たちは、後継者に手を置いてこの恵みを伝えました。
これはパウロの書簡にも記されています。
「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。」(2テモテ1・6)

使徒たちの後継者であること、これが司教職の姿です。

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写真:ゼベダイの子ヤコブとヨハネの召命

by nagasakitenrei | 2007-08-25 10:34 | 交わりの奉仕の秘跡
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写真:シナイ山頂でミサをささげる巡礼者

叙階の秘跡は、キリストが使徒たちに委ねた使命を引き受け続ける秘跡とされています。
それは司教や司祭が、人間としてはそれぞれの個人であるとしても、唯一の祭司であるキリストが「今・ここで」働いておられることのしるしであるということです。

特に典礼において司教や司祭が自分の名で祈ることはありません。教会の名で祈ります。
司教や司祭が教会の名で祈るのは選挙で選ばれた代表だからではなく、教会の頭であるイエス・キリストが祈っておられる見える姿だからです。

祭司であるイエス・キリストの姿である、とは畏れ多いことです。
人間の力で実現できることではありません。だからこそ叙階は秘跡なのだと言えるでしょう。

by nagasakitenrei | 2007-08-24 10:46 | 交わりの奉仕の秘跡