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カテゴリ:典礼と秘跡( 16 )

信仰と秘跡

一言で表現すると、秘跡は「見えない恵みを与える見えるしるし」ですから、見えるしるしによって見えない恵みが確かに与えられたことを信じる信仰が必要です。洗礼は「信じます」という宣言に基づいて授けられますし、洗礼以外の秘跡が洗礼を受けていることを前提にするのは、神さまだけがご存知の一人ひとりの信仰について、教会は洗礼を受けているということによってしか知りえないからです。
他の諸秘跡同様、聖体も信仰の秘跡です。奉仕者(司教や司祭)がどのような人物かにかかわらずミサが確かに恵みの場となるのは、それがキリストによって行われるからです。とくに、聖体においては、秘跡の執行者としてだけでなく、パンとぶどう酒の姿でキリストが、真に、現実に、現存されます。ミサの前まで香部屋にしまわれていた薄いパンとぶどう酒が、ミサの中で聖別されるとキリストのからだと血になるのです。聖別の直後に深く礼をして礼拝するのはそのためです。この単純で不思議な出来事を前に、司祭は「信仰の神秘」と宣言するのです。
聖体の聖別は司教・司祭の奉仕を通して聖霊の力によって行われ、一度聖別されたパンとぶどう酒は、パンとぶどう酒であり続ける限り、つまり腐敗したり酸化したりして別のものに変わらない限り、キリストの体と血であり続けます。そこに信仰者が誰もいなくなっても聖体であり続けます。だからこそ、カトリックではミサの後に残った聖体を聖櫃に納め、キリストの現存のしるしに聖体ランプを点し、ミサ以外の時でもキリストの体として礼拝し、訪問し、拝領するのです。2世紀の教会の生活について記録した聖ユスチノも、聖別されたパンとぶどう酒は「感謝されたもの」と呼ばれ、ミサに参加できなかった病人などに、ミサの後に届けると書いています。
(『家庭の友』16年3月号より)

by nagasakitenrei | 2018-09-18 17:44 | 典礼と秘跡

準秘跡

多くの人が聖堂に入る時に聖水を用いて十時架のしるしをします。
聖なるもののしるしは時として迷信のように用いられる恐れもありますが、たとえば聖水がないと何かもの足らないように感じるからといってそれがそのまま形式主義というわけではありません。

教会が歴史の中で七つの秘跡を明確に区別して以来、秘跡以外の聖なるもののしるしは準秘跡と呼ばれています。
準秘跡は当然のことながら魔法ではなく、助力や恵み、祝福を神さまに願う祈りです。
聖水も食事の祝福も十時架のしるしも、人生の様々な場面での祝福のしるしなのです。

ちなみに、「聖別」という言葉は、人や事物を完全に神のために取り分けるときに用います。
聖別されたもの自体がしるしとなります。
一方、「祝福」とは、人や事物を神さまの特別の御保護のもとに置くために教会が祈るものを言います。
ですから、祝福はよい目的のために用いるものだけに限られ、たとえば武器の祝福はありません。
祝福を自分がいる場所にもたらすのはすべてのキリスト者の聖なる任務です。
悪に対抗して平和と救いをもたらし、すべては神さまの祝福に依存していることを思い出させるためです。

by nagasakitenrei | 2008-01-15 13:19 | 典礼と秘跡

秘跡の中の秘跡

教会の七つの秘跡はそれぞれ固有の恵みをもたらします。
また、全体で一つの神秘、すなわちキリストの過越の神秘を体験させるとも言えます。
秘跡はしるしを通して神秘を表現するものですから、いずれの秘跡にも信仰が求められます。
ミサの中で唱える「信仰の神秘」とは、信仰が秘跡のしるしによって神秘に触れさせることに感嘆する言葉です。

ところで、聖体(エウカリスチア)は秘跡の中の秘跡と呼ばれます。
それはエウカリスチアが「キリスト教生活の泉であり頂点」であるからです。
エウカリスチアには、キリスト教生活がもつ、「神さまから人間へ」と「人間から神さまへ」の二つの動きが含まれています。

エウカリスチアはまず神さまの賜物です。それもご自分の子であるイエス・キリスト自身という賜物です。
キリストはご自分を「天からのパン」と宣言なさいました。キリストがすべての恵みの源であるからです。
エウカリスチアの祭儀(ミサ)で、神さまは人に会いに来られ、語り、いけにえによってゆるしを与え、いのちのパンで養い、そしてご自分のことを告げ知らせるように派遣されます。f0136327_1415597.jpgまた、エウカリスチアは人が神に応えるすべてのわざの源、また頂点でもあります。
エウカリスチアはキリストが父なる神さまにささげる完全な祈りだからです。
エウカリスチアのいけにえは、キリストがご自分をささげる完全なささげものであり、これに合わせて人も自分自身をささげものとすることができるようになります。実にエウカリスチアは神さまと人を一つに結ぶ秘跡なのです。

by nagasakitenrei | 2007-05-24 14:15 | 典礼と秘跡

七つの秘跡

カトリック教会には、七つの秘跡があります。

  • 洗礼
  • 堅信
  • 聖体(エウカリスチア)
  • ゆるし
  • 病者の塗油
  • 結婚
  • 叙階
誕生、成長、食事、いやし、婚姻、はたらき、という人生の出来事にある意味で平行するかのように、信仰生活の中で体験していくものです。

『カトリック教会のカテキズム』は七つの秘跡を、次の三つに分けて説明しています。
  • キリスト教入信の秘跡(洗礼・堅信・聖体)
  • いやしの秘跡(ゆるし・病者の塗油)
  • 交わりと使命に奉仕するための秘跡(結婚・叙階)

聖体は入信の秘跡の一つに数えられていますが、実際は七つの秘跡の中心であり、他の秘跡は聖体の秘跡に向けられています。
初聖体によって入信の秘跡が完了し、そこから生涯に渡る聖体に養われる生活が始まるということになります。

by nagasakitenrei | 2007-05-05 09:43 | 典礼と秘跡

多様な典礼伝統

キリスト教が伝わっていく歴史の中で、典礼の表現は多様な伝統を持つようになりました。

はじめに日本にキリスト教を伝えたのはローマ・カトリック教会の宣教師でしたし、明治期のカトリック宣教師もローマ典礼に属する人たちでしたから、日本のカトリック教会はローマ・カトリック典礼の教会として現在にいたっています。
歴史的な事情もあって、西方典礼と呼ばれる典礼の中で、世界でもっとも一般的なカトリック典礼です。
(東西の呼称はかつてのローマ帝国の領域に由来するもののようです)

一方、イコンや香を多用し荘厳な儀式のイメージのあるキリスト教典礼は東方典礼と呼ばれ、ギリシアやロシアをはじめ、中東地域で発展しています。
その東方典礼の教会の中でカトリック教会に属する教会を東方カトリック教会といい、ローマ・カトリック教会と典礼形態は違いますが、同じカトリック教会のメンバーです。
このような典礼の多様性は、唯一のキリストの救いの出来事を、長い長い時間をかけて様々な文化の中で表現してきた結果です。
今から1000年ほど後の時代には、アジアやアフリカの典礼伝統も見られることでしょう。
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by nagasakitenrei | 2007-05-04 10:01 | 典礼と秘跡

しるし

典礼祭儀の中で用いられるシンボルや動作は「しるし」と呼ばれます。それは、具体的な「もの」「こと」として、見えないものを見えるように表すからです。「しるし」はそれ自体が人に何かを伝える力を持っています。たとえば、パンは食べ物であり、食べ物はいのちの源で、生きる力を与えるものである、という具合です。
ところで、典礼で用いられる「しるし」には特に三つの内容があります。一つは「神さまによって造られたもの」であるということ。水、油、パン、ぶどう酒など身近なもので、「神よ、あなたは万物の造り主」ということばでも表現されています。第二は「神さまと人との約束のしるし」であるということ。「聖別」や「ささげもの」、「救いの出来事を記念する祭」はこれをよく表しています。そして第三は「しるしにはキリストが明かされた新しい意味がある」ということ。たとえば、聖体のパンとぶどう酒がささげられたキリストの肉と血である、とはキリストのことばによって初めて人に知らされたことです。
「しるし」がキリストの光に照らされて伝わっていく典礼祭儀や信仰教育を目指したいものです。
by nagasakitenrei | 2007-04-25 09:47 | 典礼と秘跡

典礼の主体

司祭がいなければ典礼行為の多くは執り行うことができません。しかし、典礼行為は司祭だけのものではもちろんありません。典礼行為は教会のものです。それは何よりキリストの体である教会のものなのです。典礼の主体はキリストであるということです。
キリストの典礼はこの世の教会に生きる者だけでなく、天上の教会、諸聖人の集いを含みます。キリストの体である教会とは天地を超えた信じる者の集いなのです。ミサの式文で、聖母マリアや諸聖人の名を呼び、感謝の賛歌の前に天上の歌声を思い起こすのはこのためです。
典礼の中でキリストの体のメンバーに求められるのは、各自が自分に委ねられた任務を過不足なく果たすことです。地上で、司教は司教として、司祭は司祭として、助祭は助祭として、侍者は侍者として、朗読者は朗読者として、聖歌隊は聖歌隊として、オルガニストはオルガニストとして、香部屋係は香部屋係として、など、それぞれの任務に応じて典礼に行動的に参加します。個別の任務はもちろんのこと、会衆は会衆として典礼に参加します。「主はみなさんとともに」という招きの言葉に答えること、「アーメン」と祈りを結ぶこと、このようなひとつひとつが行動的参加につながっています。そして、目には見えなくても、そこに天上の教会のメンバーも参加しているのです。
こうして、キリストの典礼が天地を結んで祝われていきます。
by nagasakitenrei | 2007-04-20 09:33 | 典礼と秘跡

秘跡と永遠のいのち

秘跡は、旧約のイスラエルの民の出来事と、これを完成したキリストの出来事、そして約束された将来の出来事を同時に含んでいます。たとえば、エジプトを脱出した民が海を渡り、水を通っていのちの世界に移ったこと。ヨルダン川で洗礼を受け、水を清められたキリストが、死を通って復活のいのちに入られたこと。人が水で洗礼を受け、罪から清められて新しいいのちの世界に入ること。これらは洗礼の秘跡が記念し、実現し、約束していることなのです。
秘跡は単なる通過儀礼ではなく、人のためのキリストのしるしであり道具ですから、秘跡を通して、人はキリストと出会うと言えます。たとえば、洗礼は人が将来決定的にキリストのいのちの世界に入るよう招かれていることを、今、前もって体験させています。
秘跡が人をキリストと出会わせるのは、秘跡を通してキリストが人に会いに来られるからです。それは、時が来るとキリストは直接人に会いに来られるということなのです。
by nagasakitenrei | 2007-04-19 14:59 | 典礼と秘跡

秘跡と信仰

秘跡は復活したキリストがはたらかれる道具です。ですから、正しく執り行われる限り、秘跡の恵みが人に左右されることはありません。けれども、キリストのはたらきを受けとめるかどうかは人にまかせられています。
秘跡の恵みを受け取るために求められるのは信仰です。それは「アーメン」という言葉に込められた心です。そして、教会の伝統は「ゆるしの秘跡」と「ミサ」に、しばしば、そして丁寧に与ることで信仰が養われることを知っています。
神さまの望まれることが実現しますように、との願いは、生活の中で神さまの望みを探し続ける生き方につながっていくのです。
by nagasakitenrei | 2007-04-18 09:28 | 典礼と秘跡

教会の秘跡

イエスは地上におられた間に行われたことを、今も教会の秘跡をとおして続けておられます。教会の教えによれば、秘跡は伝統的に七つを数えますが、いずれもキリストがお定めになったものです。これは教会の長い経験をふまえて、12世紀にはっきりと宣言されました。
教会の秘跡の特徴の一つは、その執行が、特別な場合の洗礼を除いて、叙階された奉仕者に結ばれているという点です。叙階された奉仕者は秘跡を「キリストの姿となって」とりおこないます。奉仕者個人ではなく、キリストがはたらいておられるのです。
by nagasakitenrei | 2007-04-17 10:56 | 典礼と秘跡