カテゴリ:典礼と秘跡( 51 )

しるし

典礼祭儀の中で用いられるシンボルや動作は「しるし」と呼ばれます。それは、具体的な「もの」「こと」として、見えないものを見えるように表すからです。「しるし」はそれ自体が人に何かを伝える力を持っています。たとえば、パンは食べ物であり、食べ物はいのちの源で、生きる力を与えるものである、という具合です。
ところで、典礼で用いられる「しるし」には特に三つの内容があります。一つは「神さまによって造られたもの」であるということ。水、油、パン、ぶどう酒など身近なもので、「神よ、あなたは万物の造り主」ということばでも表現されています。第二は「神さまと人との約束のしるし」であるということ。「聖別」や「ささげもの」、「救いの出来事を記念する祭」はこれをよく表しています。そして第三は「しるしにはキリストが明かされた新しい意味がある」ということ。たとえば、聖体のパンとぶどう酒がささげられたキリストの肉と血である、とはキリストのことばによって初めて人に知らされたことです。
「しるし」がキリストの光に照らされて伝わっていく典礼祭儀や信仰教育を目指したいものです。
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by nagasakitenrei | 2007-04-25 09:47 | 典礼と秘跡

典礼の主体

司祭がいなければ典礼行為の多くは執り行うことができません。しかし、典礼行為は司祭だけのものではもちろんありません。典礼行為は教会のものです。それは何よりキリストの体である教会のものなのです。典礼の主体はキリストであるということです。
キリストの典礼はこの世の教会に生きる者だけでなく、天上の教会、諸聖人の集いを含みます。キリストの体である教会とは天地を超えた信じる者の集いなのです。ミサの式文で、聖母マリアや諸聖人の名を呼び、感謝の賛歌の前に天上の歌声を思い起こすのはこのためです。
典礼の中でキリストの体のメンバーに求められるのは、各自が自分に委ねられた任務を過不足なく果たすことです。地上で、司教は司教として、司祭は司祭として、助祭は助祭として、侍者は侍者として、朗読者は朗読者として、聖歌隊は聖歌隊として、オルガニストはオルガニストとして、香部屋係は香部屋係として、など、それぞれの任務に応じて典礼に行動的に参加します。個別の任務はもちろんのこと、会衆は会衆として典礼に参加します。「主はみなさんとともに」という招きの言葉に答えること、「アーメン」と祈りを結ぶこと、このようなひとつひとつが行動的参加につながっています。そして、目には見えなくても、そこに天上の教会のメンバーも参加しているのです。
こうして、キリストの典礼が天地を結んで祝われていきます。
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by nagasakitenrei | 2007-04-20 09:33 | 典礼と秘跡

秘跡と永遠のいのち

秘跡は、旧約のイスラエルの民の出来事と、これを完成したキリストの出来事、そして約束された将来の出来事を同時に含んでいます。たとえば、エジプトを脱出した民が海を渡り、水を通っていのちの世界に移ったこと。ヨルダン川で洗礼を受け、水を清められたキリストが、死を通って復活のいのちに入られたこと。人が水で洗礼を受け、罪から清められて新しいいのちの世界に入ること。これらは洗礼の秘跡が記念し、実現し、約束していることなのです。
秘跡は単なる通過儀礼ではなく、人のためのキリストのしるしであり道具ですから、秘跡を通して、人はキリストと出会うと言えます。たとえば、洗礼は人が将来決定的にキリストのいのちの世界に入るよう招かれていることを、今、前もって体験させています。
秘跡が人をキリストと出会わせるのは、秘跡を通してキリストが人に会いに来られるからです。それは、時が来るとキリストは直接人に会いに来られるということなのです。
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by nagasakitenrei | 2007-04-19 14:59 | 典礼と秘跡

秘跡と信仰

秘跡は復活したキリストがはたらかれる道具です。ですから、正しく執り行われる限り、秘跡の恵みが人に左右されることはありません。けれども、キリストのはたらきを受けとめるかどうかは人にまかせられています。
秘跡の恵みを受け取るために求められるのは信仰です。それは「アーメン」という言葉に込められた心です。そして、教会の伝統は「ゆるしの秘跡」と「ミサ」に、しばしば、そして丁寧に与ることで信仰が養われることを知っています。
神さまの望まれることが実現しますように、との願いは、生活の中で神さまの望みを探し続ける生き方につながっていくのです。
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by nagasakitenrei | 2007-04-18 09:28 | 典礼と秘跡

教会の秘跡

イエスは地上におられた間に行われたことを、今も教会の秘跡をとおして続けておられます。教会の教えによれば、秘跡は伝統的に七つを数えますが、いずれもキリストがお定めになったものです。これは教会の長い経験をふまえて、12世紀にはっきりと宣言されました。
教会の秘跡の特徴の一つは、その執行が、特別な場合の洗礼を除いて、叙階された奉仕者に結ばれているという点です。叙階された奉仕者は秘跡を「キリストの姿となって」とりおこないます。奉仕者個人ではなく、キリストがはたらいておられるのです。
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by nagasakitenrei | 2007-04-17 10:56 | 典礼と秘跡

秘跡におけるキリスト

秘跡とは「ことば」と「しるし」によって見えない恵みを表し、表している恵みを確かに与えるものです。これはキリストの地上でのはたらきから始まりました。キリストはご自分の「いやし」や「救い」のはたらきを、見える形で人に示されたからです。ことばをかけたり、耳に指を入れたり、傷口に触れたりすることで、キリストは「見えない恵みを見せてくださった」、言い換えれば「恵みに触れさせてくださった」のでした。
福音書が伝える「いやし」や「救い」の物語を読むと、恵みに触れるために、キリストはいつもご自分を信じることを求めておられるのがわかります。信じる人にとって、ナザレのイエスは見えない神さまの見える姿でした。そこで、キリストはもともとの秘跡という意味で「原秘跡」と呼ばれることがあります。そして、地上のイエスが見えない今、その見える姿としてはたらく教会も「原秘跡」と呼ばれます。見えないけれどもはたらいているキリストの「いやし」と「救い」の見えるしるしだからです。
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by nagasakitenrei | 2007-04-16 23:15 | 典礼と秘跡

「典礼」ではたらく聖霊

典礼が「人のための神さまのはたらき」であり、「それに応えて人が神さまにささげる礼拝」であることに気付かせるのは聖霊です。聖霊は、典礼の中で人に向かうキリスト、父なる神さまに向かうキリストの姿をわたしたちに見せてくださいます。聖書の言葉が神さまのことばとしてわたしたちに届き、パンとぶどう酒が父なる神さまに献げられたキリストの体と血であると信じられるのは聖霊がはたらいておられるからです。こうして、聖霊は、典礼の中でキリストの救いのはたらきを体験するように、わたしたちを準備してくださるのです。
また聖霊は「聖なるものにする霊」としてはたらかれます。典礼の中で、聖霊の直接のはたらきを示すしるしには「按手」や「塗油」があります。
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by nagasakitenrei | 2007-04-15 08:02 | 典礼と秘跡

典礼の中心はキリストです。降誕祭はキリストの降誕を、復活祭はキリストの受難と復活を祝います。典礼暦を見ると、他にも主の昇天、主の洗礼、主の変容と、何よりもまずキリストの出来事を記念していくことがわかります。
典礼で「記念する」とは、「思い出す」だけではなく「今の出来事にする」という意味があります。典礼祭儀はママゴトや真似事ではありません。それは、「今」「ここで」キリストが行われる、人の救いと神さまの栄光のためのはたらきなのです。
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by nagasakitenrei | 2007-04-14 09:46 | 典礼と秘跡

「典礼」は人のための神さまのはたらきであり、人がささげる礼拝はいつもその応えですから、この循環するはたらきのはじまりは父なる神さまであることがわかります。この父なる神さまのはたらきかけは「祝福」(ベネディクション)と呼ばれます。祝福されていることを人がわきまえて、祈りや生き方を通して神さまに祝福を返すと、今度は人が神さまを「祝福する」ことになります。(聖体賛美式のことをベネディクションと呼ぶのはこのためです。)
わたしたちは、ミサの「ことばの典礼」で神さまのはたらきかけ(祝福)を思い出し、感謝の典礼でこの「祝福」に感謝して祈ります。その中心にいるのは、父から出て父のもとに帰る「祝福そのもの」であるキリストです。
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by nagasakitenrei | 2007-04-13 10:36 | 典礼と秘跡

「典礼」ということば

 「典礼」と訳されていることばは、「市民社会での奉仕」あるいは「公の礼拝」という意味を持っていました。キリスト教の伝統では、第一に「人のための神さまのはたらき」を、第二にその応えとしての「神さまに捧げる礼拝」を指しています。ですから、その究極の姿はキリストご自身ということになります。神さまでありながら人のためにご自分のいのちを賭け、ご自分のいのちを父である神さまに捧げものとなさったからです。これは今も、特にミサ(感謝の祭儀)で実現していることです。
 典礼はキリスト信者のはたらきの泉であり頂点であると言われています。それは「人のための神さまのはたらき」と「それに応える礼拝」の体験から、神さまのはたらきに参加して人のために尽くす愛、人の中におられる神さまに応える愛が生まれてくるからです。
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by nagasakitenrei | 2007-04-12 21:09 | 典礼と秘跡