長崎教区典礼委員会 ngstenrei.exblog.jp

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典礼暦

典礼暦は、キリスト教が時間をどのように生きているかを表現し、体験させるものです。キリストの死と復活によって時間の新しい意味、すなわち時間は死に向かう流れではなく、新しいいのちの力に満たされてキリストに向かうものであることが明らかになりました。典礼暦を体験すると、一年、一週間、あるいは一日をキリストに向かう「とき」として見ることができるようになります。
典礼暦は復活祭にを中心に編まれています。復活祭に向かっていく四旬節、新しいいのちの生き方を教え、実践させる復活節、そして聖霊によって証人として派遣される聖霊降臨です。
また、もう一つの軸があります。神が人となられたことを祝う降誕祭です。教会は、人として地上で生きたイエスの主な出来事、神殿奉献や洗礼、変容などを祝い、毎日曜日、あるいは毎日、福音が伝えるイエスのわざとことばを「今日」の出来事とします。
とはいえ、聖書が伝えるイエスの出来事を祝う典礼暦のの源泉はいつも復活祭です。「そのとき」「そこに」おられたイエスが、典礼では、復活のキリストとして「今」「ここに」おられるからです。
by nagasakitenrei | 2007-04-29 21:12 | 典礼と時間

今日

「今日、神の声を聞くなら、神に心を閉じてはならない。」(詩編95)
「今日こそ神がつくられた日」(典礼聖歌87番・・詩編118)
「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。」(主の祈り)

f0136327_0194836.jpgキリストは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と約束されました。それは人が思いめぐらす未来のある時点にキリストが待っておられると言うことよりも、毎日、今日と呼ばれる時をキリストがともに過ごしてくださると言う意味です。典礼の「今日」は、人と神さまの「今日」であり、昔地上におられた思い出のキリストではなく、「今日」ともにおられるキリストを示しています。典礼を通して、「今日」をともにしてくださるキリストの気配を意識したいものです。
by nagasakitenrei | 2007-04-28 09:38 | 典礼と時間

典礼美術

「あなたはいかなる像もつくってはならない。」(出エジプト記20:4)。
2世紀ごろのものと思われるキリスト教徒の墓には、旧約聖書や福音書の物語を主題にした装飾を見ることができますが、聖画像という典礼美術が認められるかどうか、教会の歴史の中でくりかえし議論がありました。カトリック教会は、キリストの受肉、すなわち見えない神さまが見える姿となられた出来事を根拠に、キリストの姿を描き表すことができると教えています。聖書が人の言葉で伝えられた「神のことば」であるように、聖画像は人の目に映る姿で表された「神の姿」である、という考え方です。
どんな聖画像も、キリストや聖母・諸聖人を完全に描くことはできません。それでも聖画像は典礼美術としてキリストや聖母・諸聖人を思い出させ、人の心にその現存を刻みつけます。祈る人は、作品ではなく、十字架のキリストに、幼子を抱く聖母に祈っているのです。
by nagasakitenrei | 2007-04-27 09:47 | 典礼と空間

聖母子

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福岡サン・スルピス大神学院聖堂聖母子像。
元福岡教区長、故深堀仙右衛門司教より贈られたもの。
by nagasakitenrei | 2007-04-26 22:20 | 画像

平和の元后

f0136327_924364.jpg長崎カトリック神学院学生玄関前の聖母像。
神学院が現在地に移転新築の際、
神学院在籍経験者有志から贈られたもの。
Regina Pacis(平和の元后)と命名されている。
by nagasakitenrei | 2007-04-26 22:15 | 画像

十字架

f0136327_94941.jpg福岡サン・スルピス大神学院聖堂屋根の十字架。同聖堂は1953年11月19日献堂。当時の献堂式は早朝より11時頃までかかる荘厳な式だったとの記録がある。
by nagasakitenrei | 2007-04-26 22:07 | 画像

典礼音楽

聖書を信じる人々が伝えてきた「詩編」は、祈りの模範と言われます。また「詩編」は、祈りのことばが歌われてきたことを証ししています。

「よく歌うものは二倍祈る」と古くからの格言にあるように、典礼の場には音楽がいつもあるのです。

典礼音楽が音楽による祈りである以上、全会衆が歌う聖歌や賛歌が大切であることは言うまでもありません。
同時に、祈願文や奉献文など、代表がささげる祈りを聴きながら、会衆がそれを自分の祈りにする祈り方があるように、典礼音楽においても代表が歌う聖歌を聴いて、自分の祈りにする祈り方があると言えます。聖歌隊や演奏家と会衆が、それぞれに任された歌う祈りをささげることで典礼音楽は常に行動的な典礼参加の場となるのです。
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カトリック教会は歴史が磨きあげてきたグレゴリオ聖歌という典礼音楽を持っています。
新しい時代に生まれる沢山の作品についても、典礼音楽であれば、その役割や精神はグレゴリオ聖歌が持っていたものと調和します。
作品の持つ典礼の精神こそが典礼音楽であるかどうかを見分ける鍵であると言えるでしょう。

by nagasakitenrei | 2007-04-26 19:42 | 典礼と空間

しるし

典礼祭儀の中で用いられるシンボルや動作は「しるし」と呼ばれます。それは、具体的な「もの」「こと」として、見えないものを見えるように表すからです。「しるし」はそれ自体が人に何かを伝える力を持っています。たとえば、パンは食べ物であり、食べ物はいのちの源で、生きる力を与えるものである、という具合です。
ところで、典礼で用いられる「しるし」には特に三つの内容があります。一つは「神さまによって造られたもの」であるということ。水、油、パン、ぶどう酒など身近なもので、「神よ、あなたは万物の造り主」ということばでも表現されています。第二は「神さまと人との約束のしるし」であるということ。「聖別」や「ささげもの」、「救いの出来事を記念する祭」はこれをよく表しています。そして第三は「しるしにはキリストが明かされた新しい意味がある」ということ。たとえば、聖体のパンとぶどう酒がささげられたキリストの肉と血である、とはキリストのことばによって初めて人に知らされたことです。
「しるし」がキリストの光に照らされて伝わっていく典礼祭儀や信仰教育を目指したいものです。
by nagasakitenrei | 2007-04-25 09:47 | 典礼と秘跡

初聖体の時期について

教区や教会の習慣によって、初聖体の時期は様々のようです。幼稚園や保育園の年長組で初聖体を受ける教会もあれば、小学校三年生ぐらいで行う教会もあります。特定の年齢ではなく、聖体拝領のための準備ができることが求められています。
ところで、初聖体の式は復活祭の季節に行うのが望ましいとされています。実際は、4月に新年度が始まるため、一年間の準備の後に四旬節の頃初聖体を行うことも多いようですが、初聖体は入信の秘跡の一部ですから、洗礼の準備と同じように復活祭に向けて準備されるのが理想なのです。
ちなみに、2008年の復活祭は3月23日。復活節の初聖体が実現できるかもしれません。
by nagasakitenrei | 2007-04-20 09:59 | 入信の秘跡

典礼の主体

司祭がいなければ典礼行為の多くは執り行うことができません。しかし、典礼行為は司祭だけのものではもちろんありません。典礼行為は教会のものです。それは何よりキリストの体である教会のものなのです。典礼の主体はキリストであるということです。
キリストの典礼はこの世の教会に生きる者だけでなく、天上の教会、諸聖人の集いを含みます。キリストの体である教会とは天地を超えた信じる者の集いなのです。ミサの式文で、聖母マリアや諸聖人の名を呼び、感謝の賛歌の前に天上の歌声を思い起こすのはこのためです。
典礼の中でキリストの体のメンバーに求められるのは、各自が自分に委ねられた任務を過不足なく果たすことです。地上で、司教は司教として、司祭は司祭として、助祭は助祭として、侍者は侍者として、朗読者は朗読者として、聖歌隊は聖歌隊として、オルガニストはオルガニストとして、香部屋係は香部屋係として、など、それぞれの任務に応じて典礼に行動的に参加します。個別の任務はもちろんのこと、会衆は会衆として典礼に参加します。「主はみなさんとともに」という招きの言葉に答えること、「アーメン」と祈りを結ぶこと、このようなひとつひとつが行動的参加につながっています。そして、目には見えなくても、そこに天上の教会のメンバーも参加しているのです。
こうして、キリストの典礼が天地を結んで祝われていきます。
by nagasakitenrei | 2007-04-20 09:33 | 典礼と秘跡