長崎教区典礼委員会 ngstenrei.exblog.jp

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モーセ

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顔から光を放つモーセ。手に律法の石の板を持っている。
バチカン美術館内壁画。
by nagasakitenrei | 2007-07-22 10:41 | 画像

聖堂の拡声装置について

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教会の典礼は、みことばと秘跡のしるしから成り立っています。みことばを伝える行為は典礼に不可欠の要素です。ですから、みことばが伝わるように配慮するのは典礼に携わるすべての者の責任でもあります。
イエスは、しばしば湖に浮かぶ船の上から群集に話しかけました。その声はすり鉢の底のような地形に助けられて多くの人の耳に力強く届いたと考えられます。
初代教会から今日に至るまで、典礼の舞台となる建物には、会衆の耳にみことばがはっきりと届くようにさまざまの工夫がなされてきました(写真:テサロニケ市内ギリシア正教会聖堂の朗読台)。今日、拡声装置は同じ理由で典礼に不可欠のものです。

これに関するCNPL(フランス典礼司牧センター)の記事をご紹介しましょう。

***
拡声装置に求められるのは「明瞭さ」です。メッセージは聴衆に届き、理解されなければなりません。この障害となるのが「反響」で、ほとんどすべての聖堂でみられるものです。

1.拡声装置の設置
拡声装置にはさまざまの形がありますが、言葉を確実に伝えるためには、コラムスピーカ(柱状のもの)が適しています。業者の中には、コラムスピーカを取り扱わないところもありますが、それは、このスピーカの設置が細かい技術を要し、また、あまり良く知られていないこともあって軽視されているからです。そのため、典礼の目的に合わない「最新式」スピーカが取り付けられるということもありえます。しかし、最新式の設備が必ずしも典礼のために最良のものであるとは限りません。

2. コラムスピーカの指向性
物理学者のオルソン氏によれば、縦型のコラムスピーカの基本的特徴は以下のようになります。

*音の広がりの上下はスピーカの高さ(長さ)に等しい。
*聴衆への指向性が非常に優れ、反響が大変少ない。
*スピーカからの距離に関係なく聴衆に聞き取りやすい。

音の広がりをピザのような形でイメージしてみると、
*スピーカの高さ(長さ)は1m〜1.5m (ピザの厚さ)
*音の広がりの左右の角度は60度〜100度 (ピザの大きさ・切った角度)

*聴衆にとってスピーカの設置高は、スピーカの下端が床から1m〜1.3mが最良。
*音の到達範囲はスピーカの高さ(長さ)の7倍。(例:1mのスピーカなら7m。)

3. 反響
反響すると聞き取りにくくなるのは、音の到達時間がばらばらだからです。そこで、床から3mの高さに複数設置された無指向性スピーカと1m〜1.3mに設置された一本のコラムスピーカ(指向性)では、聴衆の耳に届く音波の数だけを見ても後者のほうが聞きやすいことがわかります。

4. コラムスピーカの設置法
*聴衆に向けて設置します。音の到達距離は上述のように、スピーカの高さ(長さ)の7倍、到達範囲は60度〜100度になります。
*スピーカと聴衆の間が近い場合は、設置高を1m〜1.2m(スピーカの下端の床からの高さ)にします。
*スピーカはわずかに傾けて取り付けます。角度は、スピーカの中心から伸ばした線が音の最大到達距離(スピーカ長の7倍)で、スピーカの下端の高さに達する角度です。
*設置面が反響しないことが大切です。
*すでにコラムスピーカを設置している場合も、設置高を調整すると改善が期待できます。

5. マイクについて
*マイクは指向性でスピーチ用を複数(取り替えても使えるように)用意するとよいでしょう。
*マイクとの距離は15〜25cmを目安にします。音量は話者の声の大きさで調整するとよいでしょう。ハッキリと区切って、ゆっくり、マイクの指向線上で(声を拾う角度で)話すようにします。
*初めて朗読する人には、マイクの特徴や取り扱いを説明します。
*祭壇上に置くマイクは、朗読用と異なり、平型で共同司式者の声も拾うタイプのものが望ましいでしょう。ただしこのマイクは説教や朗読のためには用いません。

6. その他
*音楽のためのスピーカ設置は別の基準があります。
*一旦設置・調整した音響設備は、原則として誰も触れないようにします(掃除の際の雑巾がけなどで思わぬトラブルを招くこともあります)。調整したレベルについては印をつけておきます。


【参考資料】 LA SONORISATION DES EGLISES
CNPL:http://cnpl.cef.fr/Sono/Sonorisation.htm
by nagasakitenrei | 2007-07-22 10:25 | 典礼と空間

共同祈願の作り方

主日のミサの共同祈願のために『聖書と典礼』を利用している教会も多いことでしょう。掲載されている意向は「例文」ですので、各教会で独自に作成することもできます。意向を準備するにあたっての留意点を以下にご紹介します。挑戦してみてください。

【材料】 
当日の典礼のみことば(聖書朗読)。
世界と教会の現状。
共同祈願をささげる共同体の現状。

【作り方】
1. 担当する意向は何番目か確認します。共同祈願は通常、イ、教会の必要のため、ロ、国政にたずさわる人々と全世界の救いのため、 ハ、困難に悩む人々のため、 ニ、その場の共同体のため、という順序でささげられます。ただし、堅信、結婚、葬儀などでは、事情を考慮して意向の順序を決めることができます。
2. 共同祈願をささげる典礼の聖書朗読箇所を読みます。
3. 世界と教会、地元の共同体の現状を見直します。
4. 2と3を合わせて大まかな意向を考えます(その日の聖書の教えと毎日のニュースや出来事から共同祈願が生まれてきます)。
5. できる限り意向を述べる本人の手で文章にしましょう。大人が作ったものを子どもに読ませるよりは、子どもとともに意向を準備する方がよいでしょう。
6. 応唱(会衆の応え)を準備し、会衆全体に知らせておきます。

【注意する点】
1. 誰に向けられた(父なる神さまか、キリストか、聖霊か)祈りなのか意識します。
2. 何かのためではなく、誰かのために祈るようにします。
3. 個人的な祈りやアドバイス、お知らせなどにならないようにします。聴く人みながともに祈ることのできる祈りを目指します。
4. 共同祈願は一同の祈りですから、原稿の朗読にならないようにします。

【その他】
1.典礼に連願が含まれる場合は、原則として共同祈願は行いません。
2.共同祈願は司式者の招きの言葉から結びの祈願に会衆が「アーメン」と同意するまでの全体ですから、意向を述べる代表者が途中で移動したり席にもどったりしたりしないようにします。
3.共同祈願の意向は「朗読台または他のふさわしい場所」で述べることができます。「ふさわしい場所」とは、「意向が会衆に聞こえる場所」と考えればよいでしょう。
by nagasakitenrei | 2007-07-20 10:25 | ご参考

共同祈願

 共同祈願はキリスト教典礼と同じ古い歴史を持ち、聖パウロの勧めの中にもその痕跡を見出すことができます。
「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」(Ⅰテモテ2・1)
150年頃の記録によると、キリスト者は集会で説教の後全員起立し、声をそろえて祈る、とされています。またこの祈りは東を向いて行われたようです。太陽の昇る方角は復活のキリストのシンボルでした。
西方教会では、典礼に連願が導入されたことで共同祈願は徐々に姿を消し、六世紀ごろには失われてしまいます。後に連願の最初の応答部分がミサの冒頭に置かれるようになり、現在の「あわれみの賛歌」(キリエ)の形になりました。
第二バチカン公会議は典礼憲章で共同祈願の復興を唱え、再び共同祈願がはっきりとした形で共同体の祈りとされました。ちなみに共同祈願を「信者の祈り」とも呼ぶのは、古代教会で洗礼を受けた者だけがこの祈りに与っていたことによります。
ところで、何でもご存知の神に祈る必要があるでしょうか。祈りは神に人間の必要をお知らせするものではありません。共同祈願は受けたみことばへの返答であり、神の国の実現のために何が欠けているか気づくことです。そして祈るのは奉仕者個人ではなくキリストの体である教会です。共同祈願はすべての人のためにとりなすキリストの見える祈りなのです。
by nagasakitenrei | 2007-07-19 14:31 | ご参考
断食は新約聖書の中で、主を探す、あるいは主を求める行為として描かれています。そこから教会は断食を福音への回心のしるしと考えてきました。教会の伝統は、「祈り」・「断食」・「施し」を回心と一体のものとみなしています。
 ところで、聖体拝領の前に断食をするのは、聖体の姿で人間の中に来られるキリストへの尊敬のため、またキリストに集中するためであると考えられます。
 三世紀の記録には、聖体を拝領する前に他の食物を摂らないように、という指示があります。これを四世紀末の教会会議は勧告として宣言しました。それがやがて規定として広まり、中世になると一般化していきます。
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 断食の時間については、聖体拝領する前夜零時から一切のものを口にしないというものでした。断食ができなかった場合、司祭であればミサを献げることばかりかミサの献げられている聖堂の中に居ることさえ禁じられた時期もあったようです。
 一九五三年に教皇ピオ十二世は断食の規定を緩和し、病人や高齢者の免除規定を定め、また、水は断食を妨げないことを明言しました。これにより、食物とアルコール飲料は三時間、アルコール以外の飲み物は一時間、断つことになりました。時間の計り方は、司祭はミサの始まる時間から、信徒は聖体拝領の時間からさかのぼるようにというものでした。これについては翌年、司祭も信徒も聖体拝領の時間を起点にすると改められています。
 一九六四年十一月二十一日、第二バチカン公会議の期間中に、教皇パウロ六世は新しい断食の規定を公にし、司祭も信徒も聖体拝領の一時間前から、水と薬を除いて飲食を控えることが定められました。また一時間前までは節度を保つならばアルコール飲料も認められることになりました。この規定は翌年、文書でも確認されました。
 現在、聖体拝領前の断食については教会法919条で規定されています。前記の内容の他に、二回目あるいは三回目のミサを献げる司祭、および病者や高齢者とその看護者は、何かを摂取してから一時間の余裕がなくても聖体を拝領することができると明記されています。(『家庭の友』7月号より転載)

写真:「エバ」(フランス/オータン市ロラン美術館)
by nagasakitenrei | 2007-07-08 14:06 | エウカリスチア

聖母の訪問

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フランス/アミアン司教座聖堂の彫像。聖母マリア(左)とエリサベツ。
by nagasakitenrei | 2007-07-07 08:00 | 画像

病者の塗油

病気や苦しみは必ずしも人生の一部ではないはずなのに、実際は人生の一部となっています。
そして人はこれを受け入れるほかはない、ということに悲しみを覚えることもしばしばです。
それは、人は必ず死ぬということを密かに、しかし確かに教えているからです。

今日では、臨終を迎えようとする人は病院で孤独のうちにその時を迎えるか、家族だけに付き添われることが多くなっているようです。
しかし、キリスト者にとって、人の死に際して死に行く者のそばに集まり、最期まで神さまへの信頼を失わないように祈り、魂が神さまのもとに帰るのを見送るのは大切な愛の務めでした。

秘跡の歴史の中で、「終油」と呼ばれるようになった塗油の式は、最期を迎えるその時の秘跡と考えられ、できるだけ後に延ばす習慣が生まれました。
司祭があたかも「死の使い」のように受け止められていた時代もあったほどです。

第二バチカン公会議は、この秘跡を本来の姿である「病者の塗油」に改め、死を迎える人だけでなく、すべての病人のための秘跡、人の苦しみに心を動かされて癒し続けるイエスの姿のしるしに戻しました。
油を塗って病人を癒すのは、イエスから派遣された弟子たちの務めです(マルコ6:13)。
また病人を見舞うことはイエスご自身を見舞うことでもあります(マタイ25:36)。

「病者の塗油」は不治の病を癒す奇跡の薬ではありません。
けれどもこの秘跡は病人に力を与え、本人の苦しみをキリストの受難に結んで人間の救いに協力するものとし、捧げられた苦しみを神の民である教会の力にします。
目に見える使徒職を果たすすべての人の傍には、見えない使徒職を果たす人、病気を捧げて支える人がいるのです。

by nagasakitenrei | 2007-07-06 21:41 | いやしの秘跡