長崎教区典礼委員会 ngstenrei.exblog.jp

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(ドゥッチオ作: 「盲人の癒し」 14世紀)


「神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)
by nagasakitenrei | 2008-02-29 09:22 | 画像

水を飲ませてください

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(ベルナルド・ストロッチ作 「イエスとサマリアの女」)


「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。」
「その水をください。」(ヨハネ4:14-15)
by nagasakitenrei | 2008-02-23 20:01 | 画像
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(写真:イナゴマメ/ガリラヤ湖畔にて)


「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかった。」(ルカ15:16)
by nagasakitenrei | 2008-02-23 14:14 | 画像
ローマでは聖金曜日に教皇自身が十字架の道行きを司式します。聖ヨハネ・パウロ2世教皇は、聖書に記された出来事から道行きの黙想を選びました。「聖母に会う」、「ヴェロニカの布で顔を拭う」といった伝承に代わって、「ゲッセマネで祈る」、「ペトロに裏切られる」、「盗賊に天国を約束する」、などが黙想されます。
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(「十字架から降ろされたイエス」 フランス/ブルターニュ地方)


聖書による十字架の道行きは、たとえば次のように行うことができます。

1.初め 
司「神よ、わたしを力づけ、」
全「急いで助けに来てください。」
司「栄光は父と子と聖霊に。」
全「初めのように今もいつも代々に。アーメン。」

2.聖歌「キリストは人間の姿で」(典礼聖歌317番)

3.道行
「第一留 イエス、ゲッセマネの園で祈る」(以下同様)
聖書朗読(朗読台で)
黙想(沈黙または黙想を助ける音楽)
祈願(たとえば祈祷書の「十字架の道行き」から各留の後半を用いる)

以下、司式者は順に進む(移動に合わせて音楽を用いてもよい)。
第十四留の後、司式者は祭壇正面に立つ。一同で「十字架賛歌」を歌う。
第十五留を行う場合は賛歌の後、祭壇正面で行う。

4.主の祈り(歌唱)

5.結びの祈願(たとえば十字架称賛の祝日のもの)

6.十字架による祝福(沈黙のうちに行う)
(または通常の派遣の祝福)
(沈黙のうちに式を終わる。聖歌を歌うこともできる。)


***


十字架の道行の十五の黙想と参照箇所の例

1.イエス、ゲッセマネで祈る
(マタイ26・36〜46/マルコ14・32〜42/ルカ22・39〜46)
2.イエス、裏切られ、逮捕される
(マタイ26・47〜57/マルコ14・43〜53/ルカ22・47〜54/ヨハネ18・1〜14)
3.イエス、最高法院で裁判を受ける
(マタイ26・59〜66/マルコ14・55〜64/ルカ22・66〜71/ヨハネ18・19〜24)
4.イエス、ペトロに否まれる
(マタイ26・69〜74/マルコ14・66〜71/ルカ22・55〜60/ヨハネ18・15〜18、25〜27)
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(「わたしはあの人を知らない」 エルサレム/鶏鳴教会)


5.イエス、ピラトに裁かれる
(マタイ27・11〜26/マルコ15・1〜15/ルカ23・1〜25/ヨハネ18・28〜19・16)
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(「見よ、この男だ。」 ルルド/聖ピオ10世記念聖堂)


6.イエス、侮辱され、茨の冠を受ける
(マタイ27・27〜30/マルコ15・16〜19/ルカ22・63〜65/ヨハネ19・2〜3)
7.イエス、十字架を担う
(ヨハネ19・16〜17)
8.イエス、キレネのシモンに助けられる
(マタイ27・32/マルコ15・21/ルカ23・26)
9.イエス、女たちに語る
(ルカ23・27〜31)
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(「わたしのために泣くな。むしろ自分と自分の子供たちのために泣け」 ルルド/山上の十字架の道行き)


10.イエス、十字架につけられる
(マタイ27・33〜38/マルコ15・22〜30/ルカ23・33〜37/ヨハネ19・18)
11.イエス、盗賊に天国を約束する
(ルカ23・39〜43)
12.イエス、その母と愛する弟子
(ヨハネ19・25〜27)
13.イエス、十字架上で息を引き取る
(マタイ27・45〜50/マルコ15・33〜37/ルカ23・44〜46/ヨハネ19・28〜30)
14.イエス、墓に葬られる
(マタイ27・57〜61/マルコ15・42〜47/ルカ23・50〜54/ヨハネ19・38〜42)
15.イエス、復活する
(マタイ28・1〜7/マルコ16・1〜7/ルカ24・1〜7/ヨハネ20・1〜8)
by nagasakitenrei | 2008-02-21 11:11 | ご参考

十字架の道行き

キリスト者は古くから主イエスの受難の道のりを辿り、十字架を礼拝してきました。また聖週間をエルサレムで過ごすことはキリスト者の強い憧れでした。4世紀、スペインの修道女エゲリアは聖地に巡礼し、当時のエルサレムの典礼を書き残しています。(「エゲリア巡礼記」)

十字軍の時代になると、聖地からヨーロッパに帰った人々は、エルサレムの記憶を残すために、また現地に行くことのできない多くのキリスト者のために、イエスの受難を思い出させる十字架や絵を飾るようになりました。

エルサレム巡礼者の信心業であるVia Dolorosa(悲しみの道)。ピラトの総督官邸跡からカルワリオまで歩きながらイエスの出来事を黙想する信心が、信者の日常生活の場に持ち込まれ、各地の聖堂の中や屋外に「十字架の道行き」が設けられることになります。

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(エルサレム旧市街のVia Dolorosa。「第四留 イエス、聖母に会う」)


道行きで黙想する「留」Statioの数は、時代と場所によって5〜30と様々だったようですが、18世紀に教皇クレメンス12世とベネディクト14世が現在の14留の形を定めます。14留の内容は聖書の記述と古い伝承から取られたものでした。近年はマリアとともに復活の希望を黙想する第15留を加えた形も広まっています。
by nagasakitenrei | 2008-02-20 14:53 | ご参考

恐れることはない

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イスラエル/タボル山頂 「主の変容記念聖堂」


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「わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」
「これはわたしの愛する子、私の心に適う者。これに聞け。」(マタイ17・4-5)
by nagasakitenrei | 2008-02-14 10:48 | 画像

神の子なら

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ボッチチェリ作「キリストの三つの誘惑」(部分)
 バチカン/システィナ礼拝堂


「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」(マタイ4・3ー4)
by nagasakitenrei | 2008-02-13 21:36 | 画像

ゲッセマネのイエス

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「わたしの願いではなく、御心のままに。」(ルカ22・42)

(エルサレム/ゲッセマネの園のレリーフ)
by nagasakitenrei | 2008-02-11 22:56 | 画像