秘跡とは「ことば」と「しるし」によって見えない恵みを表し、表している恵みを確かに与えるものです。これはキリストの地上でのはたらきから始まりました。キリストはご自分の「いやし」や「救い」のはたらきを、見える形で人に示されたからです。ことばをかけたり、耳に指を入れたり、傷口に触れたりすることで、キリストは「見えない恵みを見せてくださった」、言い換えれば「恵みに触れさせてくださった」のでした。
福音書が伝える「いやし」や「救い」の物語を読むと、恵みに触れるために、キリストはいつもご自分を信じることを求めておられるのがわかります。信じる人にとって、ナザレのイエスは見えない神さまの見える姿でした。そこで、キリストはもともとの秘跡という意味で「原秘跡」と呼ばれることがあります。そして、地上のイエスが見えない今、その見える姿としてはたらく教会も「原秘跡」と呼ばれます。見えないけれどもはたらいているキリストの「いやし」と「救い」の見えるしるしだからです。
福音書が伝える「いやし」や「救い」の物語を読むと、恵みに触れるために、キリストはいつもご自分を信じることを求めておられるのがわかります。信じる人にとって、ナザレのイエスは見えない神さまの見える姿でした。そこで、キリストはもともとの秘跡という意味で「原秘跡」と呼ばれることがあります。そして、地上のイエスが見えない今、その見える姿としてはたらく教会も「原秘跡」と呼ばれます。見えないけれどもはたらいているキリストの「いやし」と「救い」の見えるしるしだからです。
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by nagasakitenrei
| 2007-04-16 23:15
| 典礼と秘跡