長崎教区典礼委員会 ngstenrei.exblog.jp

見えないかたの姿を求めて


by nagasakitenrei

準秘跡

多くの人が聖堂に入る時に聖水を用いて十時架のしるしをします。
聖なるもののしるしは時として迷信のように用いられる恐れもありますが、たとえば聖水がないと何かもの足らないように感じるからといってそれがそのまま形式主義というわけではありません。

教会が歴史の中で七つの秘跡を明確に区別して以来、秘跡以外の聖なるもののしるしは準秘跡と呼ばれています。
準秘跡は当然のことながら魔法ではなく、助力や恵み、祝福を神さまに願う祈りです。
聖水も食事の祝福も十時架のしるしも、人生の様々な場面での祝福のしるしなのです。

ちなみに、「聖別」という言葉は、人や事物を完全に神のために取り分けるときに用います。
聖別されたもの自体がしるしとなります。
一方、「祝福」とは、人や事物を神さまの特別の御保護のもとに置くために教会が祈るものを言います。
ですから、祝福はよい目的のために用いるものだけに限られ、たとえば武器の祝福はありません。
祝福を自分がいる場所にもたらすのはすべてのキリスト者の聖なる任務です。
悪に対抗して平和と救いをもたらし、すべては神さまの祝福に依存していることを思い出させるためです。

# by nagasakitenrei | 2008-01-15 13:19 | 典礼と秘跡

「はい」という約束

愛は長く続くことを求めます。愛はまた忠実であることを求めるものです。
これは愛が失われた時、あるいは傷つけられた時、その苦しみの大きさが教えてくれることです。

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マタイ19・6)
とは、神さまご自身が、愛が続くことを望んでおられるということを教えています。
同時にこの言葉は、愛が自動的に永続するものではないことも明らかにしています。

結婚の約束は、快不快や感情の変化を超えて新しい現実を生み出すものです。
結婚の契約は、神さまが忠実な方であることに保証された約束なのです。
一度きりの「はい」という答えに生涯を託すのは要求が高すぎるように思われるかもしれません。
イエスの弟子もそう考えたと、新約聖書は伝えています(マタイ19・10)。
それでも、人が人に信頼することを学んだのはどこであったか振り返ることはできます。
一度きりの「はい」が、教会をまた世界を支えています。「はい」という約束が多くの人に支えと勇気を与えているのです。

# by nagasakitenrei | 2008-01-15 13:17 | 交わりの奉仕の秘跡
主の洗礼(祝日は公現後の主日)_f0136327_9473992.jpg

フランス/ブルターニュ地方の洗礼盤天蓋装飾。
宗教改革を体験した時代、この地方のカトリック教会では秘跡を中心とした信仰生活を強調するために秘跡の場に豊かな装飾が施された。


主の洗礼(祝日は公現後の主日)_f0136327_9572626.jpg


現在のヨルダン川。(ガリラヤ湖付近)
# by nagasakitenrei | 2008-01-12 09:59 | 画像
主の公現(祭日は1月2日〜8日の間の主日)_f0136327_23592357.jpg


「主の公現」の祭日はイエスの救い主としての身分が公になったことを記念する。このため、マタイのみが伝える「東方の賢者の礼拝」だけでなく、「主の洗礼」や最初のしるしがおこなわれた「カナの婚宴」も「主の公現」と理解される。ちなみに、マタイ福音書には占星術の学者たちの人数も名前も記されてはいない。

写真:フラ・アンジェリコ作 「賢者の礼拝」 15世紀
# by nagasakitenrei | 2008-01-05 00:10 | 画像

神の母(祭日は1月1日)

神の母(祭日は1月1日)_f0136327_10104411.jpg


ベトレヘム/ミルク・グロットの聖母子
エジプトに向かう途中、聖母が幼子にお乳を含ませた場所と伝えられる。
# by nagasakitenrei | 2007-12-30 10:12 | 画像